2012年10月31日(水)
赤坂離宮はどう活用すべきか
8月25日テレビ東京放送の「美の巨人」。この日のテーマは「片山東熊と赤坂離宮」。明治時代に、当時皇太子だった大正天皇の居所(東宮御所)として造られながら、結局皇太子の住まいとして使われることのなかった秘密を解き明かす内容です。
片山東熊は、ジョサイアコンドルの教えた工部大学校(現在の東京大学建築学部)の1期生です。同期には東京駅、日本銀行本店等の設計で有名な辰野金吾がいます。明治時代の宮殿建築家の第一人者と言われ、奈良国立博物館(1894年完成)、京都三千院前の京都国立博物館(1895年完成)も東熊の作品です。
日本が欧米に追い付き追い越すことを夢見ていた坂の上の雲の時代。1893年(明治26年)に皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)のご成婚にあたり新しい居所「東宮御所」の建設計画が持ち上がり、工部省勤務の片山東熊が主任設計士となります。場所は、元紀州徳川藩の中屋敷(江戸後期は、実質上屋敷)で、現在の赤坂御用地です。東熊は1897年(明治30年)に渡欧し、1年に渡るヨーロッパ各地の宮殿、特にルーブル宮殿、ホーフブルグ宮殿等を徹底的に調べ上げる。その後、東宮御所は約10年かけて1909年(明治42年)に完成しました。
鳥が羽を拡げたように角度が150度くらいある3階建ての宮殿。それが東熊の設計した東宮御所(現在の赤坂離宮)です。総工費は当初予算が250万円でしたが、建築費は膨らみ続け最終は500万円(現在の貨幣価値で500億円以上)を超えたと言われています。
完成後に片山東熊が東宮御所の竣工写真を持参して明治天皇に謁見。写真を見せながら明治天皇に報告すると、思わぬ言葉が陛下から発せられました。
「この建物は贅沢すぎる」
この一言で東熊以下、その場に居合わせた皆が凍り付いてしまいました。明治天皇に贅沢すぎると言われてしまった建物は、皇太子の住まいとして使えないと判断され、その後大正天皇が住むことはありませんでした。明治天皇のこのお言葉が相当のショックで、その後の東熊は病気がちになってしまったそうです。
主を失ってしまった東宮御所。その後、東宮御所は様々な使われ方をします。関東大震災後の短い期間は、寛仁親王(後の昭和天皇)の住まいとして使われたこともあります。終戦後の1948年(昭和23年)から1961年(昭和36年)までは国会図書館(本庁舎ができるまでの仮庁舎として)。同じような時期に、法務庁法制意見長官(1948年から1960年)、裁判官弾劾裁判所(1948年から1970年)、内閣憲法調査会(1956年から1960年)、東京オリンピック組織委員会(1961年から1965年)などに使用されました。
現在のような外国の要人が来た時の迎賓館として利用が決まったのは、1967年(昭和42年)佐藤栄作内閣の時代です。あしかけ5年の歳月と108億円をかけて、現在の迎賓館「赤坂離宮」として生まれ変わりました。
設計的には正面の庭は真北を向いていますが、その方向の先にあるのは市ヶ谷です。当時、市ヶ谷には陸軍士官学校があり、宮家としてではなく、戦う王様としての天皇家を演出する明治政府の意向に沿ったものと言われています。屋根の上にも、兜と甲冑を着込んだ厳めしい武士姿の銅像が2体そびえていますが、これも上記理由から作ったものです。
この赤坂離宮の一時公開が昨年ありました。今年も11/1から11/3の3日間公開されます。但し前庭からは入れず、建物内部にも入れないで、離れての見学になります。
しかし、実に惜しい!贅沢を尽くした旧・東宮御所、現・赤坂離宮の内部。建築後100年を経過しても衰えることのない素晴らしい空間。これを一目見たいと思うのは、全国民共通の気持ちだと思います。
1年のうち迎賓館としては数日しか使われていないのだから、ヴェルサイユ宮殿、ウィーンのホーフブルグ宮殿、シェーンブルグ宮殿のように、一年中一般公開して観光名所にしてしまえば良いのに。これによりどれほど多くの観光客を集めることができるか!
例えば、年間100万人が見学に来て、1人1000円の入場料をもらえば10億円の売上です。現在の維持費に追加で掛かる運営費は僅かですからほとんどが利益です。これで建物維持費も出ますし、皇室、宮家の維持費も出せる。何よりも日本にもこんな本格的西欧宮殿があったのかと、見学した人を感動させることができます。
これで江戸城の本丸御殿、大奥御殿再建ができれば、東京駅(辰野金吾)、江戸城、赤坂離宮(片山東熊)とゴールデンコースが完成します。日本の観光立国化推進のためにも、赤坂離宮の一般公開常設化を強く望みます。
追記1)赤坂御用地内には、現在の東宮御所があり、ここに浩宮皇太子一家が住んでいます。赤坂離宮を一般開放しても、300mは離れているので迷惑にはならないでしょう。グーグルの航空写真で見ると、赤坂御用地内の庭は素晴らしい庭園になっています。
追記2)赤坂御用地内の住宅地図には、青山通り付近に、三笠宮邸、秩父宮邸の記載があります。秩父宮家は1995年に断絶し、三笠宮寬仁親王が後継者の男子をもうけないまま平成24年6月にお亡くなりになっているので、これらの宮廷も実質空家になっているのでしょうか。
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