2013年2月5日(火)

渋谷の歴史Ⅰ 神泉谷の遊郭から始まった渋谷の歴史

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

雑誌「東京人」2013.3月号で渋谷の歴史が特集されていました。その中の渋谷遊郭の内容をまとめてみました。

・明治18年に渋谷駅が開業。

・神泉谷に花街が形成され、明治25年頃には料理店15、16軒ができ、芸妓30、40人を数えるようになる。

・明治38年に世田谷に陸軍部隊、明治42年に代々木練兵場が設置され、軍人や軍関係者が集う盛り場となった。

・明治40年に玉川電気鉄道の渋谷-玉川間が開通。明治44年に青山七丁目-中渋谷ステーションの開通で、渋谷は都心と郊外を結ぶ繁華街となる。

・花街も次第に神泉谷から広がって行き、道玄坂上の荒木山入口あたりまで店ができる。地元の人たちが三業地(料理店、待合、芸者の営業許可地)の許可を得て、この地に店が集まってくる。

・大正10年には、待合茶屋96軒、芸妓置屋137軒、芸妓402人に達する。これが現在の円山町。

・この2年後の大正12年に関東大震災が起きるが、渋谷地区の被害は比較的小さかった。堤康次郎(箱根鉄道、後の西武グループ総帥)が三業地隣接に「百件店」を開発。震災で被災した下町の商業者が数多く移転してきた。渋谷キネマ、聚楽座の映画館を中心に、カフェ、小料理店、ダンスホール、銀行など100軒以上の店が並ぶ繁華街に育っていった。円山町の芸妓の数は神楽坂に次ぎ、赤坂下谷に匹敵する勢いだった。

・その後第2次世界大戦、その敗戦となり、戦争で焼けた街には数件の店しか残っていなかった。その戦後の渋谷の復興を牽引したのも円山町だった。高度成長期と相まって、円山町は華やぎを取り戻していった。

・昭和30年後半になると、ゆったりと料亭で遊ぶと言う贅沢が衰退し、廃業していく料亭が続出する。その跡地はラブホテルへと姿を変えていき、現在のホテル街が形成された。

渋谷円山町会のHPに円山町の歴史をつづったページがあります。

http://maruyamacho.net/about-maruyama/maruyama-history

新宿駅は明治以降、郊外に向かう鉄道のターミナルとして発展して行く。渋谷駅は何もなかった所に、花街が起爆剤となって町の発展が始まった。長年不動産に携わって来たのに、まだまだ知らないことが沢山あります。

追記1)現在の代々木公園は、戦後すぐに進駐軍の住宅棟が建ち並び、ワシントンハイツと呼ばれていました。米軍軍人が多数住み、戦後渋谷には米兵相手のアメリカンなお店も多数できたそうです。

追記2)仙台に立町(仙台市役所の北側辺り)という料亭街がありました。20数年前のバブル時代まで高級料亭が集積する街だったのが、バブル崩壊や、接待の縮減、官官接待の廃止等で顧客が減り、料亭が潰れました。その後にできたのもやはりラブホテル。渋谷の円山町と同じ道を歩んでいます。

 

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百軒店の往時の風景その1

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百軒店の往時の風景その2

OLYMPUS DIGITAL CAMERA百軒店の説明看板

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