2013年5月9日(木)
昭和が色濃く残る町「葛飾区立石」
葛飾区役所に行った帰りに、最近何かと話題になる京成浅草線「立石駅」界隈を散策してみました。テレビの企画で、アンジャッシュ渡部が立石界隈の飲み屋数件を梯子して、昼間からべろんべろんになっていた酔っ払いの里。暗くなってから行かないと本当の立石は味わえないでしょうけど、昼間歩いても昔の昭和が色濃く残る街並みを楽しめます。そんな立石の情報をまとめてみました。
① 立石様
立石の地名の由来となったのが、地図にも「立石様」と載り、立石8丁目38番の立石児童遊園に祀られている古い石です。色々な伝承があり、「下に古墳が埋没している」とも伝えられていました。近年の調査では、大昔の東海道のルートだったことが判明し、「立石様」の石は分岐点などの目印として置かれた「道標」だったと考えられています。
② 立石の大正以降の歴史
大正元年に京成電鉄が押上から江戸川・柴又間を走る路線を開業。その頃から、葛飾区は東京の新興住宅地として人口が急増し始めます。大正12年に関東大震災が起こり、被災した台東区、墨田区住人の葛飾区への移住も加速して行きます。
江戸川、中川、荒川、綾瀬川に囲まれるという水運の利から、葛飾区に工場が集まるようになります。工場ができると工場労働者も沢山住むようになり、当時の葛飾区中心地であった立石で、遊んで飲み食いし、独特の繁華街が形成されていきました。
③ 「仲見世商店街」と「呑んべ横丁」
戦後の焼け野原に最初は闇市として誕生したのが、駅南側に広がる「仲見世商店街」です。闇市は昭和29年に商店街となります。現在も全長約120m、42軒の商店が連なっています。生鮮品、乾物、洋服店等の物販店通りと、宇ち多“(うちだ)、栄寿司などが並ぶ飲食店通りがあります。
近代化とは無縁の古いアーケード街は、昭和30年代にタイムスリップしたような街並み。建物は現存する建設会社の鳶立澤組が建てたそうです。鳶立澤組は立石の町内頭で、仲見世商店街を始め、立石の多くの建物を建てた生き字引の会社とのこと。
もう一つの立石の歴史が、短い期間でしたが「赤線」があったことです。昭和20年3月の東京大空襲で亀戸一帯が焼けて、亀戸にいた風俗業者の一部が立石に移転し営業を始めたのが立石・赤線のルーツだそうです。近隣では永井荷風が通った「玉ノ井」(現在の東武スカイツリー線・東向島駅界隈)の赤線が有名ですが、立石も戦後の浅草帰りの客や工場労働者で賑わっていました。
戦後直ぐは進駐軍の米兵も東京に駐留していたので、米兵も多数立石を訪れたそうです。ちなみに「赤線」とは、政府公認で売春等の風俗営業が認められた地域で、警察が風俗営業公認の地域を地図に赤線で囲んだのが語源となっています。昭和33年の売春防止法の施行により赤線は日本から消えて行きます。
赤線があった場所は、現在の立石駅北口の「呑んべ横丁」のあたり。戦後も落ち着くと、昭和28年に「立石デパート」と呼ばれた商店街(日用品店、カバン屋、糸屋、寿司屋、お好み焼き屋が入居)ができ、この商店街がいつ頃からか今もある飲み屋街へと変わって行きました。2m幅くらいの狭い路地に、木造建物が密集。新宿にあるゴールデン街を小型化した感じで、現在19軒が営業中です。
④ 「もつ焼きの聖地」立石
庶民派の飲み屋が集積する立石の中でも、人気が高いのが「もつ焼き」のお店です。その中でも有名なのが、仲見世通りにある「宇ち多“(うちだ)」。「もつ焼きの聖地」立石の中でも、常に行列が絶えない超人気の立ち飲み屋さんです。食べ物メニューはもつやき一皿180円としか書いてありません(いろいろな部位の注文は、もちろんできます)。宇ち多“ 以外にも、「江戸っ子」、「秀」、「大吉」、「ホルモン屋」、「ホルモン道場」、「とんちゃん」等の人気店があります。
⑤ その他有名飲食店
・「鳥房」 鶏専門の精肉店が併設する居酒屋。半世紀以上続く名店で、料理は7種類の鶏料理のみ。名物は「若鳥唐揚」で、豪快に半身丸ごと揚げます。塩をベースにブレンドした秘伝のスパイスが絶品の味。
・「串揚100円ショップ」 立ち飲みスタイルの串揚げ店。串揚げは全品100円で、激安ながら味は本物(大阪の通天閣のよう)。衣には特製の生パン粉を使用。隠し味に煎り胡麻を入れたソースの香ばしさは感動もの。
・焼肉店「牛坊」 こだわり抜いた極上の肉を、立石価格で食べられると評判のお店。肩ロースの中でも、特に霜降りが多い「ザブトン」や、一頭から3Kgほどしかとれない「芯」などが味わえる。
・和菓子店の「立石 舟和」 浅草の「舟和本店」から、唯一の暖簾分けを許されたお店。名物「芋ようかん」は、その季節で一番良い品種のサツマイモを使用し、本店の創業時の味を忠実に再現している。
⑥ おもちゃのトミー、タカラの本社
今や日本を代表するおもちゃ会社になった、トミーとタカラ。平成18年3月に両者は合併し、タカラトミーとなりました。トミーは立石に本社があり、富山玩具製作所として大正13年創業。タカラは青砥に本社があり、昭和30年に佐藤ビニール工業所として創業。トミーは、ファービー、ポケモン関連などが主力。タカラはベイブレード、チョロQが主力。こんなおもちゃの二大巨頭が、立石と青砥というすぐ近くで頑張っていて、その両者が合併というのも因縁を感じます。
⑦ 駅前再開発
京成立石駅の高架計画が10年以上前からあります。すでに高架になっている青戸駅と四つ木駅にはさまれて、立石駅だけが昔ながらの古い駅舎と迷路の街並みで残っています。駅高架化と再開発事業は、駅前商店街や住人たちの反対で今まで進展しませんでした。
数年前に配られた高架工事による未来図には、立石のシンボルの「仲見世通り」が無くなり、広い駅前ロータリーが書かれていました。近代化を進めるのか、昭和のたたずまいを今のまま残すのか。防災を考えれば、近代化を進めた方が良いのは間違いのない所。でも時折立石に行く余所者の私としては、今の昭和の雰囲気を今後とも残してもらうことを望んでいます。
追記1)武田薬品子会社である日本製薬の葛飾工場が立石にあり、血液製剤の製造を行っていました。この原料確保のために売血が実施されており、売血制度が廃止される1990年まで売血目的に訪れる人も数多くいました。
追記2)WBC世界フライ級チャンピオンになった内藤大助選手が所属する宮田ジムが、葛飾区立石7-7-10にあります。内藤大助氏は立石に住んで、宮田ジムで練習に励み、世界チャンプになりました。
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