2014年4月3日(木)

台東区山谷(さんや) 世界のバックパッカ―が集まる街へ

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

日比谷線三ノ輪駅近所に親戚がいるので、山谷の街は子供の頃から知っています。最近この山谷に、外国人が安い宿泊所を求めて大勢泊まりに来ると言う記事を何度か目にしました。東京人が山谷に行くことも泊まることもまずないし、本当に外国人はやってくるのだろうか?そんな山谷を30数年ぶりにくまなく歩いてみました。

山谷の最寄り駅は、東京メトロ日比谷線・JR常磐線の南千住駅、もしくは三ノ輪駅です。南千住駅には近年開通した「つくばエクスプレス」も通っています。1966年以前は山谷1丁目から4丁目までの地名がありましたが、現在は台東区日本堤、清川、橋場などの地名になっています。

私の知る30年前、40年前の山谷では、道路の歩道に昼間から酔っぱらった日雇い労働者が、大勢路上に寝転んでいる風景でした。大衆酒場が多数建ち並び、その日の仕事にあぶれた人が朝から酒を呑んでいる。時折小遣い稼ぎに大通りの車に当たりに行き、軽傷を負って慰謝料をせしめる。ざっとこんな感じで、東京で一番危険な匂いがする街でした。

山谷は江戸時代に市街地境界辺りにできた宿場町で、木賃宿(きちんやど)が集積した街でした。木賃宿とは、食事は提供せず、暖房、灯り代の炭代分だけで泊まれるという意味の簡易宿泊所です。江戸への行商人、芝居の役者などが大勢宿泊していたそうです。

それが大正、昭和となり、戦後は高度経済成長時代へ突入すると、東京の普請(建築工事)をするために、主に東北地方からの季節労働者(出稼ぎ)などが山谷に集まるようになります。1泊1000円未満の簡易宿泊所に泊まって住居費を節約し、日雇いの土木仕事をこなします。毎朝労働者を乗せるトラックがやって来て、その日に必要な労働者を山谷で掻き集めます。この日雇い労働者を集める場所を「寄せ場」と言います。

「搾取される日雇い労働者」と言う位置付けで左翼から思想的に煽られて、警察官との間で数千人規模の暴動(山谷騒動)が何度か起きています。これを押えるために、大型の交番(通称「マンモス交番」)もできました。

山谷 (3)

今は寂れてしまった「いろは通り商店街」

東京オリンピック開催前年の1963年には、山谷地区には222軒の簡易宿泊所が営業し、約1.5万人の日雇労働者が宿泊していたそうです。その後年々規模は縮小し、2006年には162軒に約4500人となります。ピーク時の1/3以下です。高齢化も著しく、昨今では60歳代の宿泊者が7割近く居るとのデータもあります。低価格の宿泊料金でも安定した顧客に守られていた山谷が、日雇い労働者という需要者が一気に激減してしまったのです。

そんな山谷の宿屋を救ったのが、2002年のFIFAワールドカップの開催でした。海外から大勢の観光客がやってきましたが、皆が皆、裕福な観光客ではありません。重い荷物を背負って色々な国を訪れる若者、通称「バックパッカ―」も大勢東京にやってきました。

外国人バックパッカーに山谷は好評でした。宿泊料金が安いだけでなく、都心へ近く、かつ日比谷線の便利さが評価されました。日比谷線は、南千住駅から3つ目が上野駅ですし、5つ目が秋葉原駅。秋葉原駅から10分乗れば銀座駅ですし、さらに10分乗れば六本木駅。海外観光客の人気スポットが、うまい具合に並んでいるのです。山谷から歩いて20分で浅草寺、東京スカイツリーに行くことができます。京成日暮里駅にも電車、バスで直ぐ行けるので、成田空港からのアクセスも良好です。

山谷を散策した日も、南千住駅には重いキャスター付きの荷物を引く外国人観光客に何組も会うことができました。本当だ、本当に大勢の外国人達が宿を求めてやって来るんだ。

昔大勢の酔っ払い労働者が寝ていた吉野通り沿いは、日中寝ている人は見当たりません。労働者会館や、清川のドヤ街に行くと、数人は路上で寝ている人がいましたが、ほんの少数で昔に比べれば居ないに等しい。路地裏の道路沿いに並べた椅子に座って談笑している人たちも、現役で働いているというよりも前期高齢者の昔労働者という人達で、穏やかな空気が流れています。

吉野通りと明治通りの交差点が「泪橋」です。江戸時代に南千住駅近くにあった小塚原処刑場に行く罪人を家族達がこの世の別れをした橋ということで、泪橋と命名されたと解説している記事もあります。

明治通り、吉野通りの大通り沿いは、以前には見当たらなかった高層マンションが数棟あり、ホテルも鉄筋コンクリート造の立派な建物が何棟も目に付きます。通りの風景も、建築物もかなり新しくなっています。表通りを歩く限り、もう危険な街では無くなっていました。大阪西成(にしなり)区のあいりん地区は緊張する怖さがまだ残っていますが、そんな怖さはもう山谷にはありません。

海外には本当に危険な街が沢山あるので、世界中を旅しているバックパッカ―は山谷に危なさを感じないようです。1泊3000円前後で泊まれる小奇麗な簡易宿泊所が沢山あるし、都心にも近いし、快適に過ごしているようです。彼らがSNSで山谷について“good”を発信してくれれば、今後益々大勢の外国人が来てくれるでしょう。

山谷の宿泊所でネットで積極的に英語で発信し、外国人観光客を呼び込んでいるのが

・ほていや 吉野通り面

・カンガルーホテル

・旅館暖簾 モダンなガラス壁面の建物

・ホテルニュー紅葉  等です。

山谷 (1)

旅館暖簾 斜向かいの柳が良くマッチ

山谷 (4)            ホテル「ほていや」の料金表

現在、外国人観光客が困っているのが、宿泊先の山谷地区では外国人を歓待してくれる食事処が少ないこと。外国人にも積極的に来て下さいとアピールしているのが

・Cafe Tepui

・Aizuya Kitchen

山谷 (2)

Cafe Tepui

とネットでは出てきます。

今後東京オリンピックに向けて、年間2000万人目標の外国人観光客が日本に訪れるようになれば、現在の東京ホテル室数では足りないのは明らかです。山谷の古い木造簡易宿泊所は、今後より新しくなり、外国人相手の低価格ホテルが次々生まれて行きそうです。

大衆酒場が多数並んでいた所には、現在は廃業してしまったお店も何店かあります。これらの空き店舗も外国人大歓迎の居酒屋として再稼働するかも知れません。海外からやってくるバックパッカ―と触れ合いたいと、敢えて山谷に宿泊したり食事に来る日本人若者も出てくるでしょう。

そう考えると、「低価格ホテル×外国人旅行者×交流したい日本人若者」で今後かなり面白い展開になる予感がします。投資するなら土地代が安いこの時期しかないかも知れません。

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