2014年8月13日(水)
戦前の東京にあった飛行場
軍都と呼ばれた戦前の東京は、軍隊の中枢組織、軍隊、兵器工場等が集まるだけでなく、4つの軍事飛行場がある都市でした。立川飛行場以外の、多摩(横田)、調布、成増の3カ所は昭和15年以降にできたものです。4カ所の飛行場は戦後すぐに米国に接収され、横田基地だけは現在も米軍が使用しています。
①立川飛行場(現・昭和記念公園、陸上自衛隊立川駐屯地)
1922年(大正11年)に帝都防衛構想の陸軍航空部隊の中核拠点として開設された。1938年に実戦部隊は柏空港に移転し、立川飛行場は陸軍航空部隊の研究・開発・製造の一大拠点として機能した。立川飛行場の隣には、立川陸軍航空工廠(軍の工場)があり、周辺には軍用機を製造する立川飛行機、日立航空機、昭和飛行機工業など民間工場が建てられた。これら軍事工場を破壊するために戦争末期に激しい爆撃が実行された。
戦後は立川飛行場は米国に接収された。大型機の離発着が可能なように米国から日本に滑走路拡張の要求がなされ、1957年から周辺の用地買収が行われた。しかし計画から14年経ったところで、計画は断念。米軍は1969年(昭和44年)3月に活動停止し、1973年(昭和48年)に全面返還された。
返還後は、東側の立川駅方面は都立砂川高校、中学校、小学校の他、ファーレなどの商業施設が建設された。中央部付近は陸上自衛隊立川駐屯地となり、西側、南側は昭和記念公園として整備された。
②多摩飛行場(現・米軍横田基地)
1940年(昭和15年)、帝国陸軍の立川飛行場の付属施設として建設された。東福生駅の東側に位置し、福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市にまたがっている。3350mの滑走路がある。
戦後米国に接収され、現在に至る。在日米軍司令部、第5空軍司令部が置かれるアジア極東の中心基地となっている。2005年時点で軍人3600人、軍関係者、家族など9000人弱が暮らしている。2012年から航空自衛隊の航空総隊司令部なども常駐するようになり、日米両国の空軍基地となっている。
③調布飛行場(現・調布飛行場と味の素スタジアム)
1941年(昭和16年)4月に竣工。戦争末期、B29が空爆に飛んでくるようになると、戦闘機隊が配備されB29に体当たり攻撃などを仕掛け、帝都を防衛した。
戦後米軍に接収されたが、滑走路も短かったため、主要基地とはならなかった。代々木公園にあった米軍兵舎・住宅の「ワシントンハイツ」が東京オリンピック開催にあわせて日本に返還されることになり、代々木の住宅が調布に代替で建設された。
1973年(昭和48年)3月、飛行場地区が全面日本に返還された。その後伊豆の島々とコミューター機が飛んでいる。調布-新島の不定期便、調布-大島の定期便、調布-神津島間の不定期便が運航されている。
④成増飛行場(練馬区光が丘団地、光が丘公園)
1943年(昭和18年)から突貫工事で建設工事が始まった。滑走路は1200m。
戦後接収され、1947年(昭和22年)からアメリカ軍の家族住宅「グラントハイツ」となった(第18代アメリカ大統領のグラント将軍にちなむ)。
1973年(昭和48年)9月にグラント・ハイツが日本へ返還となった。返還後は1972年(昭和47年)に、敷地の半分を公園、半分を団地などの住宅地にする再開発計画がまとまり、1977年(昭和52年)から光が丘団地、光が丘公園建設が始まった。
そしてゼロ戦を初めてとする戦闘機、輸送機を制作していた中島飛行機も武蔵野に3カ所巨大施設を持っていました。東京西部の武蔵野地区は、軍需産業が集積する都市だったのです。
・中島飛行場武蔵野製作所(現・武蔵野中央公園)
・中島飛行機三鷹研究所(現・国際基督教大学)
・中島航空金属(現・住友重機田無製作所)
それでは羽田空港はいつできたのか。1931年(昭和6年)8月で、各国との航路を結ぶ国際空港として開港しています。羽田空港ができるまでは、1922年に開港した立川飛行場が軍事利用とともに民間利用の空港として機能していました。それでも1941年(昭和19年)からは戦時下ということもあり、軍事利用も行われました。
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