2014年9月10日(水)

地名の由来から知る日本の歴史

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 週刊ダイヤモンドに、明治学院大学教授の武光誠氏の「地名の由来から知る日本の歴史」と言う記事がありました。非常に参考になる内容だったので、記事抜粋を書かせてもらいます。

1.江戸、渋谷

 ”「江戸」とは大きな川の出口を表す名称であり、隅田川の河口の周囲をさすものだった。平安時代末にこの辺りを治めていたのが江戸家。同じ平安時代末に、江戸家と並ぶ勢力を持っていたのが渋谷家。同時期に、豊島家、大井家、品川家、目黒家、牛込家と言った有力武士たちがいた。”

 豊島家本拠地の城跡が、練馬区石神井公園の南側にあります。西武が遊園地として営業している「豊島園」は、元々豊島家の出城があった場所です。牛込家というのは神楽坂界隈にいて、元々群馬県赤城山あたりの出です。今も武家の名前が東京には多く残っています。 

2.大阪なんばの道頓堀、宗右衛門町

 ”大阪の発展をもたらした恩人の一人が安井道頓。大阪の商業地船場にあった二つの運河の堀を作った。南北に走っていたトウ横堀と西横堀機能的に使えるようになる。この功績を称えられて、道頓堀の地名が名付けられた。宗右衛門町は、町年寄りの山口屋宗右衛門が住んでいたことに因む。”

 3.大阪の心斎橋

 ”江戸時代の初め、長堀川を掘った一人が岡田心斎。この功績を称えて、心斎が住んでいたところを心斎町と呼び、船場地区と島の内地区とを結ぶ心斎橋が架けられた。江戸時代には心斎橋の南北に本屋が集まった商店街となる。そこに大丸、十合(そごう)の2件の呉服屋ができた。この呉服屋が発展して、大丸デパート、そごうデパートができた。”

 そごうデパートは2000年に破たんしていますが、心斎橋店は2005年に立派な建物に建替。その後、隣接する大丸に約379億円で売却されました。建物はそのまま活用され、改装後の2009年に「大丸心斎橋店・北館」として開店しています。

 4.大阪の梅田

 ”大阪駅にある梅田。元々は田んぼを埋め立てて町を作ったことから「埋め田」と呼ばれていた。これを転じて梅田にした。”

確かに梅田界隈でビルを作るのは大変です。地下を掘ると、水が湧き出てくるのでゼネコン各社が往生しています。

5.合成地名

 ”大田区は、大森区と蒲田区が合併したことからできた。国立駅は、立川駅と国分寺駅の間に新駅ができたことから名付けられた。その後、市の名称にまで使われる。”

 6.新しく命名された地名

 ”斉藤道三の居城だったのが稲葉山城。これを斉藤家を滅ぼした織田信長が、中国の周朝が成立した岐山と、孔子の生まれた故郷曲阜(現在の山東省)から一字づつ取って、「岐阜」と命名した。”

 7.戦国時代までの街道

 ”戦国時代までは庶民の旅は命がけであった。江戸時代に入りようやく治安も良くなり、庶民や町民が一生に一度の楽しみとしてお伊勢参りをする時代になった。本格的な街道と宿場の整備を江戸幕府が行い、交通インフラが整った。”

 8.吉田、日暮里

 ”吉田はヨシ(葦)が茂る原野を切り開いた農地。ヨシに縁起の良い「吉」の漢字を充てた。東京都荒川区の日暮里は、元々は「新堀」。新しく作った堀により開かれた土地。後から適当に日暮里の当て字をした。”

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