2015年4月24日(金)

弘前街歩き 探偵は路地裏にいる

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

  4月中旬に弘前に旅行に行き、「夕暮れ路地裏散歩」と「土手町界隈ぶらぶら散歩」という二つの街歩きツアーに参加しました。弘前の商業中心である土手町の真ん中あたりに「まちなか情報センター」があり、そこに集合です。参加者二人という少人数でも実行してくれます。今回は、路地裏探偵団の団長鹿田さんに案内してもらった「夕暮れ路地裏散歩」を紹介させて頂きます。

・費用は一人1500円で夕方5時から約2時間かけて、商業中心地の土手町、飲み屋街の鍛治町を行ったり来たりする街歩きツアー。路地裏探偵団は社会人の男性7人が案内役で、他に女性のあば(お母さん)チーム、弘前大学生チームがある。今回は路地裏探偵団団長の鹿田さんと、弘前大学生の坂本さんが案内役。

・最初に弘前中央食品市場の中を進んでいく。市場の中で、ミニねぷたを制作して飾っている店のおじさんにも話しかけ、裏道に通り抜けていく。

・次に土手町通りの反対側、弘南鉄道の弘前中央駅方面に出る。土手町通りに比べると弘前中央駅付近は建物2層分(6~7m)くらい下がっている。付近を土淵川が流れているが、この氾濫を抑えるために土手を高くしたのが土手町の由来。土手の上にできた商店街だから土手町通りと言う。この由来は地元の人もそれほどは知らない。

・弘前中央駅付近に大きな芝生の公園(よく見るとラベンダー)と、煉瓦の大きな倉庫が2棟ある。その前には巨大な犬のオブジェが(身長5mくらい)。元々は明治時代に酒造会社がここに日本酒の倉庫を煉瓦で建てた。日本で最初のリンゴのお酒「シードル」が作られたのもこの地。公園は「犬と散歩できる公園」となっているが、人はほとんどいない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA    弘前出身の奈良美智氏の作品 通称「弘前犬」

・この巨大犬の正体は、弘前出身の芸術家・奈良美智(ならよしとも、1959年生)氏の作品。2001年にこの煉瓦倉庫で奈良美智氏の個展が開かれ、期間中に7万人が作品を見に訪れた。奈良氏の地元弘前での個展は大成功に終わった。

 ビルゲイツも奈良氏のファンだと言い、個展期間中にはお忍びで来た芸能関係者(宮崎葵等)も大勢いた。煉瓦倉庫の前の巨大犬は奈良氏の個展を記念して作られた作品で、通称「弘前犬(ひろさきけん)」と名付けられている(全長4.5m、高さ3m)。奈良氏の作品は青森市の県立美術館に多数展示されており、こちらにはもっと大きい巨大犬(高さ8.5m)がいる。こちらの通称は「青森犬(あおもりけん)」。

 翌日聞いた街歩きツアーガイドのあば(お母さん)のお話では、現在煉瓦倉庫も弘前市に名義移転されているとのこと。今後の有効活用が期待される。

・再び、土手町通りの方に戻り、土淵川に架かる蓬莱橋の下を散策。ここは夕暮れになるといち早くうす暗くなり、30年くらい前は高校生カップルが多数集まってきた。ここでファーストキスを経験したジモティは多数いるとのこと。同様に暗がりになるので、カツアゲ被害にあった人も大勢いるらしい。

・続いて、夜の飲食ゾーンである鍛治町に侵入。最初に案内されたのは、地元でも有名なフレンチレストランの山崎。オーナーシェフの山崎さんは、奇跡のリンゴの木村秋則(あきのり)さんと友達で、中々手に入らない木村さんのリンゴを使って、料理や冷製スープを作っている。市川海老蔵の結婚式でも、わざわざ山崎さんの冷製スープが披露宴会場に運ばれ振る舞われた。レストラン山崎は高級店で夜だとコースで1万円以上。隣に山崎さんが経営するカフェとスイーツ店があり、奇跡のリンゴタルトが楽しめる。

 ちなみに奇跡のリンゴの木村秋則さんは、リンゴで食べられる前は鍛治町のキャバレーで呼び込みのアルバイトをしていた。今でも時折鍛治町に出没し、宇宙船に乗せられ宇宙に運ばれた話などを面白おかしく語っているそう。

・その後路地裏ツアーは、最大の路地裏ゾーンに突入。ビルとビルの間に共通の内廊下があり、そこを通って目的のお店まで行けるようになっている。冬場になると雪が多いので、できるだけビルの内側を通れるようにと言う要請から、こういう路地ができてしまった。まるで昭和時代の映画に出てくるような路地裏だが、まだ映画のロケでは使われていない。2時間もののドラマ撮影では、たまにロケで使われている。大体がこの路地裏で殺人事件が起こり、死体が早朝に見つかるような設定のシーン。

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路地裏ツアー最大の怪しい路地 鍛冶町のグランドビル界隈

OLYMPUS DIGITAL CAMERA鍛冶町のゴールデン街

・鍛治町の飲み屋さんは現在全部で約580店。バブル時代は1000店以上あったと言われていた。鍛治町は戦後弘南鉄道が敷かれてから繁華街として栄えたが、昔は映画館が最大の娯楽施設であり、昭和30年代は18件の映画館があった。映画館は今は無くなったが、映画館を改造して飲み屋街になっているところもある。映画館に廊下を通して飲み屋を入れれば、雨や雪に濡れないで済む。

・最後に回ったところは、かくみ小路一帯。元々ここには土手町通りに面して、「み」の文字を「ロ」で囲ったマークの「かくみ呉服店」があった。かくみ呉服店の端を通り抜けできるようにし、幅2mくらいの狭い路地にしたのがかくみ小路の発祥。現在はかくみ呉服店は無くなり、FM局経営のアップルウェーブ社ビルと平屋の商業ビルができている。

 かくみ小路は現在は4m幅員くらいの通り。若い経営者がかくみ小路でお店を出すことを希望しており、新しいタイプのお店がここ数年で増えた。かくみ小路では一つだけ守らなければならないルールがある。それは、お店にカラオケを置かないこと。

 ちょっと洒落たバーや、弘前出身の石坂洋二郎をモチーフに昔の映画ポスターを張り巡らした酒場など活気のある飲食店街となっている。このかくみ小路の成功でこの界隈では路面の空き店舗がほとんど無くなった。

 FMビルの脇にも平屋の商業ビルがあり、酒店の「デギュスタ」がある。近所で酒屋を経営している方の息子さんである柳田正一さんのお店で、青山紀伊国屋で売っているようなワイン、つまみを売っている。弘前を代表する日本酒・豊盃の「ん」もこのお店では置いてあるので何時でも買える。 

 衰退し続けていると思っていた弘前の土手町が、かくみ小路を中心に少し活気が出ているのを知ったのが最大の収穫でした。若い世代が協力し合って町を良くしようと思えば、町も元気になります。何よりも弘前と言う町を知ってもらおうと、日夜活動している路地裏探偵団の皆さんには頭が下がります。弘前が今以上に人気観光地となるように、路地裏探偵団の皆さんには活躍して欲しいものです。

追記 弘前ねぷた会館で、中国人観光客約30人の御一行さんに会いました。どこで会っても賑やかです。団体用の食事の用意をしている若い人たちがいたので、あの中国人団体さんに用意しているのか聞いてみました。「今用意しているのは違いますが、中国人や台湾人が最近大勢弘前にやって来ます。一番の目的はリンゴを食べることらしいんです。」そう教えてもらいました。台湾や上海で青森リンゴを買えば1500円くらい。それが200円くらいで食べられるのであれば、幸せな気分になれるはずです。

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