2016年3月22日(火)

埼玉県深谷、近代日本を知ることができる歴史の旅

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 前々から行きたかった深谷駅を3月お彼岸にようやく尋ねることができました。滞在時間約5時間でしたが、なかなか勉強になる楽しい小さな旅でした。観光ポイントの紹介の前に深谷市の概要をおさらいしてみます。

「深谷市の歴史・地理・産業」

・江戸時代に中山道9つ目の宿場町として「深谷宿」が置かれ、最盛期は80の旅籠ができた。江戸から2泊目の宿ということもあり、飯盛り女も多く、遊郭もあり、飲み・打つ・買うで多いに栄えた。

・埼玉県の北部にあり、利根川と荒川に挟まれている。利根川の北側は群馬県の伊勢佐木市と太田市。利根川は度々氾濫し、その名残りか○○島と付く地名が多い。住民は川の反乱に悩まされたが、氾濫後には肥沃な土壌が残り、良い農作物が採れる地域となった。気候はやや内陸的で、寒暖の差が大きく、冬は乾燥した北風(空っ風)が吹く。この風が吹くことにより、甘味の多いねぎ(深谷ねぎ)が採れる。

・深谷市の農業出荷額は平成18年度で約356億円。埼玉県内では1位で、全国では15位の農業先進地。近郊農業でねぎの他に、ほうれんそう、キュウリ、ブロッコリー等の野菜類、チューリップ、ユリ等の花卉類の生産が大きい。

・利根川の水運で栄えた。江戸から深谷までは水量も豊富で大きな船で物資を運ぶことができた。利根川から上流は水量も減少することから、深谷で小さい船に積み荷を載せ替えるなどの船の乗換駅の役目を果たしていた。

・深谷市が三偉人として売り出しているのが、渋沢栄一、尾高惇忠(じゅんちゅう)、韮塚直次郎。渋沢栄一は言わずと知れた明治時代に近代日本の礎となる500に上る株式会社を作りだした経済界の巨頭。尾高惇忠は栄一の9歳年上の師匠筋。若者の教育に熱心で、後に官営富岡製紙場の初代工場長となり、各地の絹産業のリーダーとなる多くの女性技術者を育てた。韮塚直次郎は明治初期という時代にありながら深谷の瓦職人、大工を束ね、富岡製糸場(木骨レンガ造り)という今も立派に輝き続ける建物を建てた現場のリーダー。この三人がいたからこそ富岡製糸場は無事に創業できたと深谷の人達は誇りに思っている。

 深谷駅から徒歩5分にある自転車レンタル場で自転車を借り、煉瓦調の深谷駅→深谷商業高校記念館(二層楼)→遊歩道(煉瓦工場からの引込線路敷跡)→煉瓦資料館→渋沢栄一記念館→尾高惇忠生家→誠之堂(せいしどう)・清風堂(せいふうどう)→深谷駅近くの旧中山道近くのレトロ建物群を回ってみました。移動距離約15km強、所要時間約5時間というハードワークでした。

①深谷駅

 平成8年に完成した駅舎です。東京駅に使われている煉瓦を深谷が供給した縁で、煉瓦造りの洒落た駅舎となっています。しかし後から知ったことですが、煉瓦造りではなく、鉄筋コンクリート造りに薄く切った煉瓦を貼った(早い話がタイル)建物でした。まあ、見た目は格好良い建物なので問題はありませんが。 

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深 谷 駅

②深谷商業高校記念館、通称「二層楼(にそうろう)」

 深谷駅の北東方約2km、国道17号線(中山道バイパス)沿いに、レトロでモダンな木造洋館二層楼があります(地元民がそう言うので)。竣工は大正11年。この建物も老朽化が進み、一度は取り壊しの話しも出たそうです。しかし市民たちから折角だから残そうよとの声が湧きあがり、平成25年に無事に修復工事が完了しました。今は屋根も壁も新しくきれいな状態です。

 深谷商業高校は地元の渋沢栄一、大谷藤豊の尽力により、大正10年4月に開校。二層楼は校舎として建てられ、フレンチルネサンス様式を基調とした和洋折衷の木造2階建てです。 

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深谷商業高校記念館(二層楼)

 ③遊歩道(あかね通り)

 深谷商業高校から北へ約2.5km行ったところに深谷の煉瓦工場だった日本煉瓦製造跡地があります。そこに行くまでほぼ直線で遊歩道が通っています。市民の散歩コースで不思議な道だなと思っていたら、後でこの遊歩道が煉瓦工場と深谷駅を結ぶ鉄道線路敷の跡と知りました。道理で幅員も同じで真っ直ぐな道でした。

④旧・日本煉瓦製造、現・煉瓦資料館

 明治21年に開業し最盛期は6本の煙突が建つ巨大な煉瓦工場が6棟ここにありました。現在は旧事務所棟が「煉瓦資料館」となって一般に無料で開放されています。ボランティアガイドさんが無料で詳しく説明してくれます。 

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煉瓦資料館

 煉瓦資料館の裏側に煉瓦造りの変電室が建っています。明治39年竣工なので、築110年くらい経っています。

 少し離れて網フェンスの向こうに1本だけ煙突が建った工場が残っています。最盛期は6棟あった工場の最後の1棟で、ここにホフマン輪窯6号窯が現存しています。素晴らしい産業遺構ですが、10人以上の見学者の予約が無いと見られないとのこと。うーん、残念!東日本大震災以降は少し危ない個所も出てきているとのことで、昔は奥まで入れたものが現在は入口からの見学とのことでした。 

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ホフマン輪窯6号窯の写真

⑤渋沢栄一記念館

 日本煉瓦製造工場跡地から北西方へ約4kmに「渋沢栄一記念館」があります。いかにも公共事業で作っちゃいそうな建物だよなと思って見ていたら、「八基公民館」とも書かれていました。1階の半分が渋沢栄一記念館となっており、ここも無料。館員の方が懇切丁寧に説明をしてくれます。 

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渋沢栄一記念館(八基公民館)

⑥渋沢栄一生家

 渋沢栄一記念館の西方約800mに渋沢栄一生家があります。多分メインなのでしょうけど、既に足がだるくなっていたので、ここには向かわず断念。

⑦尾高惇忠生家

 渋沢栄一記念館の南東方約800mに尾高惇忠生家があります。ここも無料で、ボランティアガイドさんが熱心に説明してくれます。ほとんど知らない人でしたが、渋沢栄一の幼少の頃からの師匠ともいえる中々の人物でした。

・渋沢栄一のいとこで10歳年上。尾高家は渋沢家と同じで、藍玉等の仕入れ販売を生業とする商家で名主。惇忠は幼少の頃から学問に秀でて、17歳で自宅で尾高塾を開いた。当時7歳だった渋沢栄一も塾に勉強しに来て、彼の人生に大きな影響を与えた。

・渋沢栄一が明治維新後に明治政府民部省の役人となり、明治5年に創業を始めた富岡製紙場の建設に携わる。渋沢栄一と一緒に開業を手伝ったのが尾高惇忠であり、創業後は初代工場長となる。中々富岡製紙場に技術を学びに来る若い女性が集まらなかった時に、自分の娘の勇(ゆう)を働きに出し、また一日の労働8時間以内。日曜日は休み。時間外には女性の教育に充てるなど、技術習得と学問を学ぶことに熱心に活動した。これが評判を呼んで、旧武家の娘たちを大勢集めることができ、彼女たちが地元に戻り近代的製紙産業を発展させていった。

 尾高家生家も長く放置され廃屋同然だったのを深谷市が寄贈を受け、最近きれいにして一般公開できるまでになったそうです。築後200年経つらしいのですが、太い柱に支えられた立派な邸宅です。今では高価で使えないような太いケヤキの柱も使われています。 

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尾高惇忠生家

⑧誠之堂(大正5年築)、清風亭(大正15年築)

 深谷駅から北方約 kmの小山川沿いに世田谷区瀬田から移築された2棟の建物、誠之堂と清風亭が建っています。ここも無料で見られ、ボランティアガイドさんが熱心に説明してくれます。

・渋沢栄一が設立した第一国立銀行(後に第一銀行→第一勧業銀行→現・みずほ銀行)。長く頭取の職にあった渋沢栄一が77歳(喜寿)を機に頭取を退任した。第一銀行の行員から深く敬愛されていた栄一に対し、何か記念になる物を贈ろうということになった。銀行のスポーツ施設があった世田谷区瀬田の一角に、行員たちが資金を出しあい34坪の洋風平屋建物を建て、これを「誠之堂(せいしどう)」と名付けた。英国田舎風の建物の外観。

 設計は清水組(現・清水建設)の技師長で当時の建築界第一人者であった田辺淳吉(辰野金吾の弟子、代表作は東京會舘、日本女子大学成瀬記念講堂等)。

・清風亭は栄一を次いで第2代頭取になった佐々木勇之助の70歳(古希)を記念して、第一銀行行員たちの出資で建てられた。アーリースパニッシュ調での建物。

・銀行の瀬田のスポーツ施設は昭和46年に聖マリア学園に売却された。誠之堂、清風亭の建物は外国人教師の宿舎等でその後も使われたが、平成9年に学園の施設拡充計画により取り壊すことになった。

・この時に渋沢栄一と縁のある深谷市が手を挙げ、誠之堂と清風亭を引き取り移築することが決まった。しかし木造ではなく、煉瓦造りと鉄筋コンクリートの建物であり、移築は大変な作業だった。煉瓦壁をできるだけ大きく切断して、移築先で組み直す「大ばらし」を応用した。平成10年2月から解体を始め、平成11年8月に移築復元が完了。総費用は3億3000万円掛かっている。

 移築された誠之堂と清風亭の前には、奇しくも瀬田の風景と同様、深谷市運動公園のスポーツグランドが広がっています。 

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誠之堂外観

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誠之堂内部

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清風堂外観

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清風堂内部

 ⑨深谷駅近くの旧中山道付近のレトロ建物群

最後に深谷駅近くの旧中山道付近のレトロ建物群を紹介します。

・七ツ梅酒造跡:江戸時代から300年以上続いた田中藤左衛門商店の酒蔵跡。敷地内に深谷シネマや古本屋「月の庭」、カフェ、雑貨店などが集まっています。一般社団法人まち遺し深谷によって運営されています。朽ち果てそうな佇まいが、なんて昭和レトロなんだと感じられる不思議な空間が広がっています。

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七ツ梅酒造跡 右側建物が深谷シネマ 

・小林商店:煉瓦造りの蔵と昭和レトロな鉄筋コンクリート作りが並んでいます。元々は砂糖商だったそうです。

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小林商店 

深谷レンガホール:1階部分が煉瓦造りで3階建て。元々は柳瀬金物店倉庫であったのをイベントホールに改造して使っています。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA

深谷レンガホール 

深谷BASE:簡易な小さいコンテナ建物3棟が建っている公共施設。展示会、イベント、食事会などで使えます。壁を白く塗って、ウッドデッキで3棟が繋がっており、青山にありそうなお洒落な感じに仕上がっています。 

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深谷BASE

 一つ一つの施設が離れていて結構回るのは大変でした。名古屋市が導入したような市バスで観光名所をぐるぐる回れるような試みをしてくれると、観光客はもっと訪れるかなと思います。後必要なのは食べるところと、休憩してお茶、お酒が飲めるところでしょうか。

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