2016年10月11日(火)
信州善光寺を脇寺住職の案内で歩く
10月上旬に長野市を訪れ、善光寺脇寺「蓮華院」ご住職に2時間ほど歩きながらご説明を頂きました。面白い「へえ~」というお話が多数あったので、善光寺のHPも参考にしながらご住職のお話を紹介させて頂きます。
1.善光寺は無宗派だが、天台宗と浄土宗が守る
1400年くらい前に創建され、日本で最も古いお寺の一つ。宗派の無い単一寺。無宗派だけど、天台宗(本山は比叡山延暦寺)と浄土宗(本山は知恩院)で善光寺を守っている。
参道の仲見世の東西に脇寺がずらっと並ぶ。〇〇院と院が付く寺が25寺ありこれは天台宗系。〇〇坊と坊が付く寺が14寺ありこれは浄土宗系。天台宗脇寺の本部が山門西側にある「大勧進」。浄土宗脇寺の本部が二番目の仁王門西側にある「大本願」。これら合計41寺で善光寺を守っている。
2.脇寺は全て宿坊
脇寺は全て宿坊(参拝者のための宿舎)になっている。善光寺宿坊のHPがありそこには「善光寺には39の宿坊があり、それぞれに御堂があり、住職がいます。住職は善光寺如来様に奉仕し、その護持に勤めると共に、全国からご参拝の皆さまを仏さまに仕える心でご接待し、お世話をしています。
永い伝統を守ってきたそれぞれの宿坊は、凛とした中に、個性のある雰囲気や特徴をもって皆さまをお迎えしています。また、特徴ある精進料理をはじめ、それぞれに趣向をこらした宿坊料理もお楽しみいただけます。何といっても善光寺参りの真髄は毎朝行われるお朝事に参拝することです。そのお朝事に、住職はじめ宿坊専属の公認案内人がご案内いたします。」と案内されている。
宿坊のサービス内容、料金は一定の物ではなく、各寺が自由に決めている。2名利用時で1名あたり1泊2食付きで10,000円~15,000円が相場。
3.「大勧進貫主」と尼僧の「大本願上人」
善光寺の住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務めることになっている。天台宗を束ねている「大勧進」の住職は貫主。浄土宗の本坊は大本願であり、大本願の住職は尼公(にこう)上人(代弋尼僧が就く)がつく。貫主と尼公上人の二人が「善光寺住職」を兼ねている。大勧進貫主(かんす)と大本願上人は「雲上人」、「生き仏」と形容されることが多い。
4.参道の三つの門
善光寺には3つの門があった。最初の門が「大門」。現在は門は無くなっていて、名称だけが残っている。2番目が仁王門。三番目が山門(三門)。
仁王門の仁王様が発っしている言葉が「あ」と「ん」。向かって左側の仁王様が発しているのが「あ」。向かって右側の仁王様が発しているのが「ん」。サンスクリット語の最初の文字が「あ」で最後の文字が「ん」。最初から最後まで完璧に網羅しているということで、「あ」から始まり「ん」で終わっている。
昔の人は手紙の住所に「山」と書けば、比叡山延暦寺に手紙が届いたという言い方をする。「山」と言えば、比叡山延暦寺を指す。天台宗にとっては、「山」は非常に重要な漢字であり、深い意味を持つ。
一番本山に近い門は、山門(三門)と両方並記されている。天台宗的には山門であり、浄土宗的には三門(三解脱門)であり、二つの宗派でお守りしているので並記している。
善光寺の仁王門に書かれている山号は「定額山」。以前、日本郵政公社から善光寺の山号が書いてある「定額山」をCMで使わせて欲しいという要望があり、断った経緯がある。「ていがくやま」と読んでしまうが、「じょうがくやま」と読む。郵政公社は「定額貯金」に引っ掛けたかったのだろうが、読み方が違うということで断った。
仁王門に掲げられる定額山
山門の「善光寺」の文字の中には、鳩が隠れている。鳩が何匹潜んでいるかは、下の写真で見つけて下さい。
山門(三門)に掲げられる「善光寺」の中の鳩の数は?
5.お寺は必ず南向き
お寺とお城は必ず南を向いている。善光寺もしっかり南側を向いている。普通のお寺は正面は東西に長いが、善光寺を見ると東西の長さよりも南北に(奥に向かって)長い。善光寺も元々は東西に長い建物であった。これが南北に長くなったのには由来がある。
現在の建物の前の建物は東西に長い建物であった。参拝者が大勢訪れ、朝事に参拝しようと大勢の人が本堂の前に未明から待っていた。最初は参拝者の人たちの雨よけで庇を付け、庇がどんどん長くなっていった(南北に伸びた)。前の建物が火事で燃えて300年前に次の建物(現在の善光寺)を建てる時に、参拝者が大勢待っていられるスペースを確保しようと今の設計になった。
6.参道での食堂は五穀絶ちのため蕎麦
お寺での修行に「五穀絶ち」がある。五穀とは五穀豊穣で知られる通り、米、麦、アワ、ひえ、豆類である。これらを食べない修行をするのが五穀絶ちである。参道の食堂でうどん屋がなく、蕎麦屋が多いのはここから来ている。うどんの原料は小麦なので五穀絶ちにならないが、蕎麦は五穀になっていないので許される食べ物という理由から。
7.7年に一度の御開帳と御柱(回向柱)
昨年の平成27年が御開帳であり参道に御柱(回向柱)が建てられた。回向柱に触れることは、御本尊様に触れることと同じ御利益があるとされる。御開帳の期間は、4月5日(日)から5月31日(日)まで.4月の初めに来ないと参拝者の数がものすごく、なかなか御柱に触ることができない。5月連休以降だとあまりの人の多さに御柱に触ることを諦めてかえってしまう人も多い。
この歴代の回向柱が山門西側に保存されている。現在10本保存されているので、歴代70年分の回向柱である。年が経つにつれて根本が腐ることから、年代の古い回向柱になるほど短くなっている。70年前の回向柱は人が座れるほど低くなっている。回向柱は、代々、松代藩が納めることになっている。杉、赤松の樹が使われることが多い。
回向柱には梵字(ぼんじ、サンスクリット文字)で上から「空風火水地(キャカラバア)」と書かれている。仏教において宇宙を構成する5大要素が「空・風・火・水・地」。同様に色でも5大要素があると考えられ、青、黒(紫)、赤、白、黄の五色が充てられている。
山門の西側に納められている回向柱
8.男の伊勢参り、女の善光寺参り
日本で仏教が諸宗派に分かれる前からの善光寺はあったので、宗派の別なくお願い事ができるお寺である。またほとんどのお寺が女人禁制であったが、善行寺にはそれがなく、旧来の仏教の中では稀な女性救済のお寺であった。従って昔から所税の参拝客が多く、江戸時代は男の伊勢参り、女の善光寺参りと言われた。
9.善光寺の名前の由来
創建には本田善光(よしみつ)と言う人物が関わっており、その名前から善光寺と名付けられた。善光寺HPに書かれている内容では、「信州善光寺は、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座いたしました。」となっている。人目に触れられることのない秘匿の仏像を本田善光氏がこの地に納めて善光寺が出来たという歴史。
10.毎日、脇寺住職が交代で寝泊まりして管理
お寺にとって一番怖いのは今も昔も火事での消失。これを避けるために、毎日4人の脇寺の住職が寝泊まりして管理している。昔の建物であり、冬になると滅茶苦茶寒くなる。一番寒くなるシーズンは、マイナス15度くらいまで下がる。39寺なので計算上は10日に1回だが、高齢の住職も多く、若い住職は寝泊まりする回数も多くなる。
善光寺本堂 正面よりも奥に長い
ご住職の説明を聞きながら入館料500円を払って本堂に上がったところで、本来は朝のお努め「朝事」でのみ開く幕(本堂向かって左側にある龍の絵柄の幕)が大きな法要が入ったので、これから幕が開くとご住職から説明がありました。幕が開いているうちは、ご本尊と一番距離が短くなり願い事が聞き入れられるということです(だから、参拝者は幕の開く朝事に参加する)。
法要が始まって暫くすると龍の幕が開きました。皆、一斉にお願い事をします。幕が開いている時間は30秒くらいだったでしょうか。直ぐに閉まってしまいます。
その後、地下の真っ暗な回廊巡り(お戒壇めぐり)がありました。光が差し込まない全くの闇の中です。壁を手でつたいながら少しずつ進んでいきます。秋の祭日で込んでいたので、関西弁のよくしゃべるおばさんの声が聞こえ怖くありませんでしたが、閑散期だと相当怖い空間です。
お戒壇めぐりをすることで、極楽浄土が約束されると言われています。瑠璃檀下の真っ暗な回廊をめぐり、ご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れると、自分の持っている業(悪い欲望)を阿弥陀様に渡すことができ、すっきりした顔で出てこられるとのこと。私は金属棒に少し触れただけで、しっかりとは掴めませんでした。業はほとんど持ち帰り、今までと変わらぬ生活を続けています。
善光寺は二度目でしたが、普段聞けない話を行くことができ非常に有意義な二時間でした。
追記1 山門の善光寺に隠れている鳩の数は5匹です。
追記2 長野県に行って感じたことは、外国人観光客が少ないことです。上田も、松代も、長野市内も。外国人旅行者の目的が、「体験旅行」に移り始めている現在、宿坊に泊まると言うのは非常に貴重な旅行コンテンツになるはずです。宿坊に泊まって、英語のできる住職が善光寺を案内する。そういうことができれば、長野市内はインバウンド客で一層賑やかになると思っています。
追記3 現在の大勧進・小松玄澄貫主(かんす)82歳に女性問題が出ており、週刊誌等を賑わせています。今年の7月に信徒さんから辞任要求が出るほどです。実際の現状をご案内頂いたご住職に聞いてみたかったのですが、周りの空気が一変するのが怖くて最後まで言い出せませんでした。
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