2016年10月22日(土)

小布施のこぼれ話

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

前回に続いて、小布施について仕入れた小ネタを書いてみます。

①茨城から栗が運ばれている?

 栗で有名な長野県小布施町。一方、日本で一番栗の収穫量が多いのは茨城県で、全体の4分の1を占めています。茨城県中央の笠間市、かすみがうら市、石岡市などで多くの栗が生産されています。小布施産の栗だけでは需要が間に合わず、笠間産の栗が小布施に流れているという話も聞きました。「栗は小布施」と言うブランドを作った小布施の勝ちと言うことでしょう。

②セーラ・カミングス

・米国ペンシルバニア州出身の48歳の白人女性。1991年、関西外国語大学に交換留学生として来日。1994年、株式会社小布施堂に入社。小布施堂社長・桝一市村酒造場17代目の市村次夫氏。彼女が一時期小布施堂に勤務し、取締役として小布施の色々な街づくりに貢献したと聞きました。その活躍が認められ、日経Womanが選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」を受賞。

・セーラが小布施に来たのは、1995年。長野オリンピックが1998年。オリンピックが終わるまでという話だったのが、「小布施ッション」だとか、「小布施見にマラソン」等、次々に新しい企画を出して小布施に留まる。

・小布施ッションは、2001年8月に第1回が開かれて以来、毎月ゾロ目の日(1月のみ11日)に開催され、2013年7月まで、12年間144回続いたイベント仕立ての文化サロン。毎回異なるジャンルのゲストスピーカーによる講演と全員参加のパーティーで構成。参加者は遠来の方と地元の人々が半々で、初対面の人々との交流を持つ出会いの場となっていた。

・2014年、桝一酒造、小布施堂役員を退任。

とあらかた上記のような経歴の方です。ただ、ネットでは中傷する内容のコメントも見られます。目立ちすぎたのでしょうか?

③おんな北斎・葛飾応為

・高井鴻山の誘いで葛飾北斎が小布施に約4年間暮らし、多数の絵を描いた。岩松院の天井画もその一つ。ただ描いた当時の葛飾北斎は80歳後半なので、実際には一緒に来ていた葛飾北斎の三女・お栄がかなりの部分を手伝った(描いた?)とも言われている。お栄は画号で「葛飾応為(かつしかおうい)」。「おんな北斎」と呼ばれるほどだった。

 「おうい」という名の由来は北斎が「おーい、おーい」と呼んでいたのでそのまま画号になったそうです。現存する作品は10点しかありませんが、もの凄い才能と称賛されています。

④竹風堂社長と池田満寿夫

 竹風堂社長が池田満寿夫(満州生まれで、戦後長野市で育つ)のスポンサーで、コレクションを多数所持。このコレクションを長野市松代町の海津城そばに「池田満寿夫美術館」として開業。すぐそばには、竹風堂松代店があります。

⑤ウェルカムガーデンの庭づくり

 少数の人にしか聞いていませんが、すべて住人の手作りだけでは無いようです。造園のプロに庭を作ってもらう人も多数いるとのこと(当たり前だけど)。Obuse Open Garden Bookの冊子を見ると、和風よりは洋風の庭が多いようです。個人宅だけでなく、お店で作られたガーデンの方が多いようです。

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医院のウェルカムガーデン

 ⑥リンゴ畑

 小布施の中心街から少し離れた浄光寺、岩松院辺りを歩いているとリンゴ畑が沢山あります。ちょうど10月頃はリンゴの実が鈴なりで美しい風家が広がっていました。小布施はリンゴ生産が盛んで、年間約5500トン算出されています(ただ全国1位の弘前市が17万トンなので、これに比べるとだいぶ少ない)。

 リンゴでも桃でも、果樹一杯に実を付けている風景を見ると、すごい幸せな気分になれます。

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道沿いでたわわになるリンゴ畑

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