2016年11月3日(木)

歴史の選択 鍋島直正(閑叟・かんそう)公

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 薩長土肥と言われる中で、一番目立たないのが肥前藩(佐賀藩)鍋島家です。しかしこの肥前藩(以下、俗称で鍋島藩)が、幕末時にずば抜けた軍需工学技術を持った有力藩であったことをNHKの番組「歴史の選択」(2016年6月23日放送)で知ることができました。

・江戸時代の海外貿易の窓口である長崎出島の警護は、肥前鍋島藩と福岡黒田藩が交互に行っていた。当時の先進国オランダの書物、知識が自然と鍋島藩には伝わっていた。オランダの洋書を日本人にも分かるように翻訳し、欧米の新しい知識を得る素地・素養があった。ちなみに、今の佐賀県だけでなく、長崎県の多くの部分(大村藩を除く)も肥前藩に属していた。

・鍋島直正(後の鍋島閑叟・かんそう)は9代藩主・鍋島斉直の十七男。直正が家督を継いだのは、1830年の17歳の時。当時の鍋島藩は先代斉直が浪費をして、商人に莫大な借金をしている窮乏財政の状態。直正は質素倹約を奨励し、商人からの借金を帳消しにしてもらって藩の財政も少しづつ立ち直ってきた。

・長崎警護の鍋島藩を大きく揺るがしたのが、「フェートン号事件」。オランダの商船を装ったイギリス船が長崎に立ち寄り、燃料、食料、水の供給を強引に迫った。断れば大砲で長崎の町を焼き尽くすと脅した。藩の緊縮財政もあり、警護に金を掛けていなかった鍋島藩はこれに抗うことができず、イギリス船の要求を仕方なく飲む。しかし、鎖国している日本でイギリス船に物資を供給したことが問題となり、改易の窮地に。結局、家老職を含む6人が切腹して責任を取らされた。

・この事件を契機に、大砲などの近代的武力が日本にも必要であることを直正は痛感する。藩独自に大砲を作ろうとオランダの洋書を研究し、大砲製造の反射炉を築いた。しかし、大砲の製造は難しく、大砲を打つと筒が割れてしまうなど失敗の連続だった。失敗すること18回だったが、ようやく実用に耐えうる大砲を作ることに成功する。

・直正はよく手を洗う綺麗好きの人物と言われている。このタイプの人物は不安感が強い性格。ただ不安がって手をこまねいているタイプと、何とかこれを打破することを目指すタイプがいるが、直正は後者で不安を打ち消すために努力を惜しまない。当時の衝撃的ニュースがアジアの大国「清」がイギリスにアヘン戦争でこてんぱんに負けてしまったこと。このままでは日本が異国に植民地にされてしまうと大砲製造に打ち込んでいた。

・当時の世界で最新式だったのがイギリスのアームストロング砲であり、鍋島藩はこの大砲を作ろうとした。大砲の中にやがて溝(ライフル)を入れ、砲弾も球型ではなくロケット型にして溝を入れる工夫を行う。こうすることで砲弾が回転して飛んでいく。従来よりも遠く正確に砲弾を飛ばすことができるようになった。何度も失敗を繰り返し、とうとう成功を修める。

・長崎警護のために外海を望む丘の上に砲台を設置し、外国船を見張るべきと幕府に進言。これに対して金のない幕府はこれを受け入れることができなかった。直正は鍋島藩単独の資金で長崎に大砲を設置した。やがてペリーが浦賀に来航し、幕府に開国を迫る。幕府は対抗措置でお台場に大砲設置を決めたが、この大砲51基を納めたのが鍋島藩。既に日本一の軍需産業を有する藩となっていた。

・大砲製造以外にも、工業にも力を入れた。後の赤十字社創設を行う佐野常民(さの・つねたみ)をトップにして、石炭で動く蒸気機関車、蒸気船の開発も研究した。からくり義衛門として有名な田中久重(東芝の発祥となる芝浦製作所の創業者)や、他の藩からも逸材を集めて工業系の研究を邁進した。知識と現場の技術が融合すると「工学」となるが、鍋島藩はこれを実践していた。後に明治となり近代国家として日本が巣立つ土壌を既に鍋島藩は着手していた。

・薩長土肥の中で最も軍事力が強かったのは圧倒的に肥前鍋島藩だった。従って、鍋島藩が幕府につくか、薩長の雄藩につくかで戦局は大きく変わる。しかし、鍋島はどちらにつくかを明らかにせず、独自路線を進む。薩摩、長州、福岡黒田藩からは信用できない人物、妖怪等の悪口をさんざん言われた。最後の最後で鍋島藩は官軍側となった薩長土に付くことにした。閑叟自体は日本人同士が戦うことを望んでいなかったが、戊辰戦争では鍋島藩の大砲が各地で威力を発揮。上野の彰義隊や東北の幕府側勢力に多大の被害を与えた。もし、鍋島藩が徳川方に付いていれば圧倒的な軍事力から薩長土は敗退し、歴史が変わっていたとも言われる。

・直正は、明治維新後「太政官」となり今後の活躍が期待されたが、明治4年に56歳でこの世を去る。

 大方、かような内容でした。佐賀城に行った時、地元では直正公を名君として一押ししていましたが、かような近代工業化の先鞭をつけた人物とは知りませんでした。今回のNHKなみのビデオを城の中で流してくれれば、もっと興味を持てたでしょう。

 産業世界遺産として、伊豆や萩の反射炉が登録されましたが、その先鞭をつけた佐賀鍋島藩はより高い評価を受けておかしくありません。鍋島閑叟、グッジョブです。

追記1 不動産関係者で鍋島と言えば、渋谷区松濤が有名です。紀州徳川藩の下屋敷だったところを、明治9年に鍋島家に払い下げされました。最初は失業武士の職業対策として茶畑にし、やがて近代化が始まると1区画250坪の分譲地として売り出します。これが現在の超高級住宅地松濤の始まりです。

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