2010年11月5日(金)
徳川家の霊廟(れいびょう)、寛永寺と増上寺
徳川家の菩提寺と言えば、上野の寛永寺と芝の増上寺ですが、江戸時代はどっちが本家かということで、強いライバル心があったようです。徳川15代の将軍のお墓(霊廟、れいびょう)があるのは、下記の通りです。
日光東照宮 家康①、家光③
上野寛永寺 家綱④、綱吉⑤、吉宗⑧、家治⑩、家斉⑪、家定⑬
芝増上寺 秀忠②、家宣⑥、家継⑦、家重⑨、家慶⑫、家茂⑭
谷中墓地 慶喜⑮
寛永寺6人、増上寺6人と見事に同点です。
増上寺は家康が江戸に来るまでは麹町にありましたが、1598年に江戸城拡張をするために芝に移っています。風水学的には、江戸城の裏鬼門である南西方面を守るためとも言われています。寛永寺ができるのはずっと後ですので、増上寺の方が本当の徳川家の菩提寺という意識は強かったのでしょう。
江戸時代、増上寺は徳川家の菩提寺として隆盛の極みに達しました。全国の浄土宗の宗務を統べる総録所が置かれたのをはじめ、関東十八壇林(だんりん)の筆頭、主座をつとめるなど、京都にある浄土宗祖山・知恩院に並ぶ位置を占めました。壇林とは僧侶養成のための修行および学問所で、当時の増上寺には、常時三千人もの修行僧がいたといわれています。寺所有の領地(寺領)は一万余石。25万坪の境内には、坊中寺院四十八、学寮百数十軒が立ち並び、「寺格百万石」とうたわれています。 *増上寺HPより
次は寛永寺です。京都御所を守るために鬼門の方角(悪鬼がいるとされる北東方向)には、比叡山延暦寺が造られました。同じように江戸城を守るために、鬼門の方角である上野に東叡山寛永寺が造られたと言われています。東叡山は、東の比叡山という意味で名付けられました。家康、秀忠、家光に仕えた僧侶天海が、天台宗関東総本山として上野寛永寺を開山し、天海が初代住職となっています。
元々寛永寺のあった上野の山には、伊勢津藩主藤堂高虎、弘前藩主津軽信牧、越後村上藩主堀直寄の3大名の下屋敷がありました。秀忠の時代に、これらを公収して寛永寺の土地にしました。1622年くらいからお寺の建造が始まり、寺の中心になである根本中堂が完成したのは、70年以上経った1968年、5代将軍綱吉の時代です。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山の役割も一時期は持ち、浅草寺も江戸時代は寛永寺の傘下に入っています。最盛期の寛永寺は寺域30.5万坪あり、現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内地となっていて、上野公園の2倍の面積の寺地があったそうです。
このようなライバル同士であった、増上寺と寛永寺ですが、明治維新で両寺とも状況は一変します。彰義隊が立て籠もった上野の山は、官軍に総攻撃を受け、伽藍を始め、寛永寺の大半の建造物が燃えてしまいました。寛永寺の規模は大幅に縮小され、上野公園の北側端っこに本堂と墓地が残るだけになってしまいました(現在は80%くらいが墓地)。焼失した寛永寺跡は、当初医学校と病院として利用する計画が明治政府にありました。これをオランダ人医師のボードウィンが押しのけ、今の公園として残すように進言し、日本初の公園として整備されました。
一方の増上寺も、徳川幕府の崩壊、明治維新後の神仏分離の影響により規模は大きく縮小され、境内の広範囲が芝公園となりました。家康公の像が安置してある安国殿は、増上寺から切り離されて芝東照宮とされました。それでも、江戸時代から残っている三解脱門に加え、東京空襲で燃えた大殿、大門を再建して大寺として残っている増上寺の方が、お寺としては運が良かったと言えるでしょう。
追記1)増上寺の周りには、日光東照宮みたいなでかい霊廟がいくつか江戸時代にはあったそうです。増上寺北側にある東京プリンスホテルの敷地は、江戸時代は2代将軍秀忠公の大きな霊廟があったそうです。下記写真は、増上寺の中の徳川家霊廟です。普段は中に入れませんが、特別な日だけ見学することができます。
追記2)上野公園の中には、ちょこっとだけ昔の寛永寺の名残が残っています。清水観音堂や、不忍池の中の小島にある弁天堂。上野動物園南側にある徳川家康公を祀った東照宮などです。
追記3)荒川区南千住1丁目にある円通寺には、上野の彰義隊兵士の遺体を収容し祀ったお墓があります。賊軍呼ばわりされた彰義隊兵士の遺体を引き取るのには、円通寺の住職も勇気が要ることだったでしょう。戦いの時に燃えてしまった寛永寺の黒門が、明治40年にをここに運ばれ、現在も展示されています。
最新記事
- 地方都市の中古戸建てをリノベして販売するカチタス (5/8)
- 日本の貧困家庭の子供比率 (9/18)
- 韓国の人口動態 2017出生率は1.07予想 (9/17)
- 長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」 (7/18)
- 旧東ドイツのライプツィヒの再生に学ぶ (7/12)
- 李氏朝鮮時代の韓国では僧侶の身分が下層階級 (7/10)
- 第一勧業信用組合の素晴らしい金融戦略 (7/1)
- 中国経済2017 大衆資本家たちのイノベーション (6/25)
- 小型木質バイオマス発電 VOLTER40 (6/20)
- 中国人だらけの大宰府 (6/19)
不動産業界コラム
過去の記事
- 2018年5月
- 2017年9月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年1月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
- 2013年1月
- 2012年12月
- 2012年11月
- 2012年10月
- 2012年9月
- 2012年8月
- 2012年7月
- 2012年5月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2012年1月
- 2011年12月
- 2011年11月
- 2011年10月
- 2011年9月
- 2011年8月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2011年2月
- 2011年1月
- 2010年12月
- 2010年11月
- 2010年10月
- 2010年9月
- 2010年8月
- 2010年7月
- 2010年6月
- 2010年4月
- 2010年3月