2011年8月9日(火)

ハウステンボスの挑戦

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 5、6年前に日光江戸村に行った時、一番人気があったのは人情お笑い芝居をする「北町奉行所」でした。その時は、4人の役者さんの芝居で、30分くらいの遠山の金さんの寸劇でした。笑いの壺を押さえた芝居は、日中は1時間以上待つほどの人気振りです。さほど金を掛けない施設が、芝居の面白さだけで大勢の人を呼び込む。エンターテイメント事業は、施設の投資額ではないと再認識させてくれました。

 金を掛けることに関しては、ディズニーランド、USJと並んで3本の指に入ったハウステンボスができたのは、バブル崩壊後の1992年(平成4年)です。長崎県が造成完了後、進出企業が決まらず困っていた佐世保市針尾工業団地を、既に開業していた長崎オランダ村(ハウステンボスの南方27km)が購入。オランダ村社長の神近義邦氏が、全精力を掛けて本格的テーマパークを作り上げました。オランダの町並みと寸ぷん違わない施設とすべく、細部にまで高価な部材を輸入。当初予算を大きく上回り、最終的な投資額は約2300億円まで膨らみます。資金は、当時リゾート開発にのめり込んでいた日本興行銀行がかなりの部分を融資しました。

 初年度は年間380万人が訪れましたが、年々来場者は減少。テーマパーク内で高級別荘地とコンドミニアムを販売して、資金を回収しようとしましたが、バブル崩壊とともにこれも少し売っただけで終わり(三井不動産が手伝っていたはず)。結局は、投資の回収どころか運営赤字が続き、会社更生法を2003年2月に申請。野村證券の自己投資会社、野村プリンシパルファイナンスがスポンサーとなり、再建が始まりました。しかし、野村PFに替わった後もさしたる戦略も無く、経営は改善されず、再度閉鎖寸前までに追い込まれました。

 次のスポンサーは、澤田秀雄氏が率いるHIS。2010年4月に100%減資されて、野村PFは撤退。新たに67%をHIS、残り33%を九州電力、九州ガス、JR西日本、西日本鉄道など九州財界が出資し再スタートとなりました。

 2011年3月の中間決算では、花や光をテーマにした新規イベントが好評で、昨年10月から今年3月までの入場者数は前年同期比29%増の87万1000人、売上高は24%増の58億1400万円、経常利益も6億9000万円(前年同期は10億2400万円の赤字)になりました。やる気のある人間(澤田さん)が一人入るだけで、赤字続きの巨大テーマパークが何とか再生の見通しができたのです。

 ハウステンボスは数年前に行ったきりですが、ニュースや、ネットで調べてみると、次のような新しい企画を次々と繰り出しています。おそらく、日光江戸村と一緒で、金を掛けなくても、まずは楽しい施設を一杯作ろうということだと思います。今後は、大道芸人が多数集まる企画もあるようです。

①闇の地下王国 探検ツアー

 上下水道管や電線が通る共同溝(地下トンネル)を利用した「闇の地下王国 探検ツアー」。スタッフの先導で、配管が入り組んだ長さ約280メートルの狭い通路を歩いて探検する。途中にはゾンビなどのホラー仕掛けも。地上では700万個の電飾が園内を彩る「光の王国」が開催中。

②ハウステンボスにサウザンド・サニー号

 人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」の海賊船「サウザンド・サニー号」の実船を4月2日に就航させる。サニー号は主人公らが乗る船。実船は中古船を購入して改装中で、430トン、250人乗り。入場無料ゾーンの港に係留し、大村湾を有料で遊覧する。

③スリラーファンタジアミュージアム

 四ツ谷怪談、番町皿屋敷、耳なし芳一など、古くから日本に伝承される代表的な怪談の世界を再現。様々な仕掛けや、音響、照明を駆使し、従来のお化け屋敷とは違ったミュージアムとしての魅力を併せ持つ施設。

④山本寛斉氏と組んだハウステンボス元気祭り

 重厚感あるガトリング砲(回転式機関砲)から勢いよく水が飛び出し、子供たちが15m先にある海賊船の風船めがけて水撃します。夏休みになってから毎日100組から200組が楽しむ人気の施設になっています。世界の衣装展や、土屋アンナ達が来るライブなども行われます。

 来春には上海と長崎間を結ぶ観光フェリーを就航させるそうです。1000人から1500人乗りのフェリーで、片道20時間をかけて航行。その20時間もマイナスの時間にしないで、船上で映画、ミュージカル、カジノなどの催し物を計画して、ツアー客に船旅を楽しんでもらう。長崎に到着した中国人客を佐世保市のハウステンボスに誘致します。

 創業者の故神近さんが目指した限りなく本物に近いけど詰らなかった巨大施設は、たった1年でアジアの人気施設に変わろうとしています。

 

追記1)長崎県の如才ないところは、辛亥革命を主導した中国建国の父・孫文先生と金銭的援助を惜しまなかった梅屋庄吉氏の舞台として、長崎県を紹介しているところです。日本に遊びに来たつもりが、孫文先生と梅屋氏の歴史の事実を知る。少なくともその事実を知った中国人は、日本に対する見方に変化が出るはずです。

http://www.stv-japan.jp/shibozazhi/210103-50-53.pdf

 


このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

最新記事

不動産業界コラム

過去の記事

ページの先頭に戻る↑