2011年8月14日(日)
明治の記憶、その1
明治維新後、欧米列強に一刻も早く追いつこうと猛スピードで駆け上がった明治時代。その中で消えて行ってしまった東京のランドマークを探ってみます。
① 鹿鳴館(ろくめいかん)
鹿鳴館は外務卿(今の外務大臣)井上馨が「外国人接待所(外国の賓客や外交官を接待)」として推進した、明治政府が建てた社交場(迎賓館)です。設計は近代日本の設計の礎を作ったジョサイア・コンドルで、施工は後の大成建設となる土木用達組です。
鹿鳴館のあった場所は、薩摩藩装束屋敷跡地で、現在の帝国ホテル隣のNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)です。1880年(明治13年)に着工し、1983年(明治16年)完成しました。ただ鹿鳴館運営中の諸外国の評判は、余りにも西洋の物真似過ぎ(社交、ダンスなどの内面が追い付いていない)の評判は芳しく無く、結果滑ってしまった企画と言われています。舞踏会参加で足りない女性陣は、すぐ近所の新橋芸者(今の銀座金春通り沿い)のお姉さん方も駆り出されたそうです。
7年後には鹿鳴館の運営を止め、1890年(明治23年)宮内省に払い下げられ、その後華族会館に払い下げられました。その後は、徴兵生命保険(現・大和生命保険)に売却され、1940年(昭和15年)に解体されました。
② 帝国ホテル
鹿鳴館を企画した井上馨が、鹿鳴館の隣に近代的ホテルを建てるよう、財界の大御所渋沢栄一と大倉喜八郎を口説いてできたのが帝国ホテルです。1980年(明治23年)に営業開始しています。最初の設計は渡辺譲で、木骨煉瓦造の3階建、客室数約60室。
1912年(明治45年)から米国のフランク・ロイド・ライト(近代建築の3大巨匠の一人)に新館の設計を依頼します。1919年(大正8年に)初代帝国ホテルが消失し、ライトが設計した新館は1923年(大正12年)に完成しました。関東大震災が起きたまさにその年です。ライトの設計により耐震性を高めていた新館は、関東大震災でもほとんど無傷で開業できたそうです。
③ 浅草凌雲閣(りょううんかく)
1890年(明治23年)浅草にでき名所となっていた12階建ての建物(高さ52m、八角形の形状)、それが凌雲閣(天の雲をも凌ぐ高さ)です。越後の生糸商人福原庄三郎がフランスのエッフェル塔に感銘し、英国人ウィリアム・バルトンに設計を依頼。最盛期には1日2万人が訪れたと言うので、その人気は物凄いものがありました。しかし、1912年の関東大震災で、真ん中の少し上の辺りで折れて崩れ落ちてしまったそうです。凌雲閣があった場所は浅草2丁目で、跡地は浅草東映劇場→パチンコ店となり、浅草凌雲閣の後影は全くありません。http://www.tanken.com/ryoun.html
④ 日本最初のホテル「築地ホテル館」
明治維新後、東京では築地界隈(明石町も含む)は外国人が住む居留地となりました。居留地とは長崎の出島と一緒で、外国人を一纏めにしておいた方が管理上も良かったのでしょう。そして明治維新の1968年に「築地ホテル館」が完成しました。ホテルは3階建ての本館と平屋からなり、延1619坪の規模でした。施工は清水組(現在の清水建設)。しかし完成後4年弱で焼失してしまい「幻のホテル」と言われています。
http://www.tokyochuo.net/meeting/town/edo/edo05_03.html
⑤ 築地の海軍省
江戸幕府が1857年に築地に軍艦教授所を設置(後に軍艦操練所、海軍所と改称)。1868年新政権が築地の旧幕府海軍所を接収という流れで、築地は明治政府の海軍省となって行きます。明治天皇が宮城(皇居)から築地の海軍省に行くにはいつも決まった道順があり、銀座にその名残が残っています。「みゆき通り」です。えっ?みゆき族のみゆき通りが?(このフレーズもほとんど通じないと思いますが)。みゆき通りは「御幸通り」であり、”明治天皇が通られる ”という意味です。当時の晴海通りはまだ運河のままで、大通りにはなっていなかったはずです(確認中)。
⑥ 日本橋、日比谷、新橋の凱旋門
日清戦争、日露戦争を勝利した日本各地で、兵隊さんを出迎える凱旋門が各地でできたそうです。東京でも日本橋(三越デパート前)、日比谷、新橋等に石造りの立派な凱旋門があったそうです。軍事国家であれば帰国した軍隊を迎える凱旋門は当然あったのでしょうけど、東京にもあったとは初耳でした。
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