2011年8月16日(火)

荒川放水路はいつできたか?

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 東京北部から東部を流れる大規模河川の荒川放水路。京浜東北線鉄橋付近では、広い河川敷を利用して浮間ゴルフ場まであります。それではこの荒川放水路はいつできたものでしょうか?答えは驚くほど最近で、昭和5年にできた川なのです。

国土交通省 荒川下流河川事務所HPhttp://www.ktr.mlit.go.jp/arage/learn/history/history04.html 

 元々荒川と呼ばれていたのは現在の隅田川で、しょっちゅう氾濫して荒らぶる川だったので荒川と呼ばれていました。明治40年と43年に荒川(現・隅田川)の大洪水がありました。特に明治43年の大洪水では浅草など東京の下町はほとんど浸水し、死者324人、家屋の全半壊・流失1679戸、浸水家屋8万4538戸と水害史上まれに見る大水害となりました。

 明治政府は同年に臨時治水調査会を内閣に設置し、全国の河川改修を行う計画を立てます。明治44年から荒川放水路事業が始まり、測量・調査・用地収容に着手します。岩淵に水門を造り中川河口まで全長22㎞、幅500mの放水路を建設する壮大な計画です。大正13年に通水式を迎え、さらに流域各地の工事を経て全体が完成したのは昭和5年。約20年の歳月をかけた大工事でした。幅500m、全長22kmの土地を買収してしまうのだから、その当時の日本は今の中国並みに強権が発動できたということです。

 荒川放水路により土地が分かれてしまったことが分かる地名が、足立区、葛飾区にあります。京成本線で荒川の東側へ渡ったところにある堀切菖蒲園駅は葛飾区で、周辺の地名も堀切が付いています。一方荒川の西側に東武線の堀切駅があります。分断された堀切の破片が、足立区側に残った形です。

 この荒川放水路の大工事が完了し、東京の洪水による氾濫リスクは相当低くすることができました。それではこの工事に掛かった費用はどれほどのものでしょうか。

 荒川河川下流事務所HPによると、総工事費3,144万円となっています。貨幣価値が良く分かっていませんが、当時の1円=現在の1万円で試算すると、約3000億円になります。土地の買収費用がどの程度か分かりませんが、まあ今となればかなり安くできたのは間違いなさそうです。”工事費は莫大であるが、戦艦1隻作るよりは安い”と説明した方もいたとのことです。

 他にも荒川下流河川事務所HPには、荒川放水路の巨大プロジェクトデータが並びます。

・従事した延べ労働人員:310万人

・浚渫土量:910万㎥

・築堤土量:1210万㎥

・鉄道橋:4橋(総武線・常磐線・東武線・京成押上線)

・人道橋:13橋…1鉄橋・12木橋(千住新橋<鉄橋>、西新井橋・堀切橋・江北橋等)

・主な閘門および水門:閘門3ヶ所、水門7ヶ所(小名木川・小松川・船堀<閘門>、岩淵・綾瀬・隅田・木下川・中川・新川・芝川<水門>)

・土地買収:約1088ha

・移転戸数:1300戸

  無駄な公共事業が多い昨今、荒川放水路の巨大公共事業については素晴らしい英断だったと評価できます。 

追記)隅田川が流れる墨田区堤通2丁目に「都営白鬚東アパート」の住宅団地があります。10階建くらいの賃貸マンションが隅田川沿いに並んでいます。この団地の凄いところは、この集合住宅自体そのものが隅田川の氾濫に備えた堤防になっているところです。棟と棟の間には水門があり、隅田川氾濫時には水門が閉まり、約900mの団地が一直線の堤防になるという仕組みです。人柱ならぬマンション柱。建設省の役人も凄いことを考えました。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

最新記事

不動産業界コラム

過去の記事

ページの先頭に戻る↑