2016年1月31日(日)

活況を呈する浅草六区 まるごとにっぽん 煮込みストリート

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 テレビ東京「アド街ック天国」で平成28年1月30日放送された「浅草六区」。昔は浅草寺境内の公演だったのを1区~7区に分けて区画整理をして商業地となった(明治17年)。特に六区には数多くの映画館、劇場、演芸場ができて歓楽街として大いに栄えたと紹介していました。そして、昨年12月に開業した「まるごとにっぽん」も紹介されました。正月にも行って超満員でしたが、放送翌日賑わいを見に遊びに行ってきました。

 まるごとにっぽんの経営母体は、東京楽天地(阪急系列)です。HPを見ると下記のように記載されています。

・東京楽天地と浅草の関わりは、浅草六区の通称ひょうたん池の半分、約1000坪を取得したのが始まり。購入したひょうたん池を埋め立て、1952年(昭和27年)9月に浅草宝塚劇場と浅草宝塚地下劇場を開場し、宝塚歌劇団の公演により杮落としを行う。残り半分の敷地には1954年(昭和29年)4月、浅草楽天地スポーツランドを開場。都内で初めてのジェットコースター等、当時最新の設備を導入し道行く人の目を奪い、開場当日は黒山の人で埋まる活況を呈した。

・その後、映画の斜陽とともに、ボウリング場やゲームセンターへの転用。開発予定地にあった浅草東宝劇場は浅草最後の封切館だったが、2006年(平成18年)1月に閉館。楽天地浅草ボウルも2010年(平成22年)1月に閉場。

 なるほど、阪急グループが1000坪もの池を戦後に買って埋め立てて商業地にしたのか。明治17年の区画整理の後もひょうたん池は残っていたということか。思えば10数年くらい前まで六区界隈は死んだような商業地でした。競馬のウィンズにくるガラの悪いおっさんがたむろし、ポルノ映画館やパチンコ店に入り浸るような絵に描いた場末感。長く何も建たないフットサル場に駐車場。時代から取り残されたような街でした。風向きが変わったのは、つくばエクスプレス「浅草駅」が六区付近に2005年開業してからでしょうか。少しづつお客さんも増え国際通り側にも活気が出てきました。

 「まるごとにっぽん」に到着すると連日の放送もあったせいか、中に入るのに一苦労と言えるほどの混雑振りです。レジ待ちがあまりの長蛇の列で買い物はできません。1階~4階が店舗で合計売り場面積3732㎡。年間集客予想372万人以上、年間売上想定30億円を予定しています。5階以上はロイヤルホールティングス(ロイヤルホスト)が経営するリッチモンドホテルが入居しています。元々沼地だったので、昔住人が色んなものを投げ捨てていたのが見つかり、文化財研究などで着工までに手間取ったということです。

 館内を出てから「煮込みストリート」として紹介されていた通りも歩いてみました。大学時代から浅草の知人と出入りしている馴染みの通りで、持つ煮込みの大衆酒場が建ち並ぶガラの悪い通りだったはず。しかし改めて歩いてみると、余りの様相の変化に驚くばかりです。煮込み店を売りにした酒場がやたら増えている。そしてどこも満員。若い男女が大勢います。すっかり持つ煮込みがファッショナブルな食べ物になってしまった感じです。

 その足で雷門商店街の南側、芋ようかんの舟和、喫茶店のアンジェラス辺りまで行くと、今度はあれっ?と思うほど空いていました。昨日のテレビ放映があったから六区に人が出ていたのかも知れません。

 浅草六区に活気が出てくると、もう一段しょぼかった西浅草辺りも今後少し面白い展開になって行くのかも知れません。

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