2010年7月17日(土)

2-コラム 大名屋敷跡

都市鑑定アドバイザリー(株) 不動産鑑定士 田中祥司

 東京都心部では皇居は別格としても、大規模な敷地がいたるところで残っています。現在は、ホテル、大学、病院、公園、神社などに利用されている土地です。これらは、元々何に利用されていた土地でしょうか。

 答えは、時代によって違いますが、明治時代は貴族(公・侯・伯・男爵)の屋敷、江戸時代に遡れば、大名の屋敷となります。諸国大名は徳川家の政策により、江戸に奥さん、子供と住むことを求められました。大名が持つ屋敷は、

上屋敷:政治・経済・外交活動の本拠地。普段殿様が住んでいるところ

中屋敷:隠居した藩主、先代の未亡人、当主の子女の住居。

下屋敷:週末過ごす別荘、火災時の避難場所。

と分けられます。お金の無い大名は、上屋敷だけというところもあったようですが、大きい大名になると下屋敷でも、十二分な広さがあります。

加賀前田家の本郷上屋敷は約104,000坪ですが、昔の地図(切り絵図)を見ると、「加州」と書かれています。現在は東京大学本郷キャンパスとして利用されています。東大の赤門が前田家上屋敷の正門そのものであり、三四郎池は屋敷内の庭園に作られた育徳園心字池のことです。東大なので敷居はかなり高いですが、赤門から中に入って行っても守衛さんには怒られませんから、奥にある三四郎池まで散歩してみて下さい。前田家の下屋敷は、ちょっと離れて目黒区駒場。こちらは、東京大学駒場キャンパスがあります。加賀藩と東大はよっぽど結びつきが深いのですね。

六義園(りくぎえん:文京区本駒込)約40,600坪は、川越藩主柳沢吉保の下屋敷で、回遊敷庭園と築山が見事な江戸屈指の名園です。明治に入り三菱の創業者岩崎彌太郎氏の別邸となり、昭和13年(1938)に岩崎家から東京市(都)に寄付されて、現在に至ります。

 御三家水戸徳川家の上屋敷(文京区小石川)約101,000坪は、東京ドーム、後楽園遊園地、東京都庭園の小石川後楽園として利用されています。

 東大以外のキャンパスでは、慶応大学は肥前島原藩松平家の下屋敷、上智大学は御三家尾張徳川家の拝領屋敷の跡地です。明治時代の話しですが、大隈重信の政敵山県有朋は、大隈重信創設の早稲田大学を見下ろすために、子分の藤田男爵に高台にある目白の椿山荘一体を買収させ屋敷を作らせました。だから今も藤田男爵の流れをくむ藤田観光の椿山荘からは、早稲田大学が良く見下ろせるのです。

 ビジネス街では、六本木ヒルズ(港区六本木6丁目)が長門長府藩毛利秀元家の上屋敷であり、その縁で毛利庭園が再開発に併せて作られました。一方の六本木ミッドタウン(港区赤坂9丁目)は、同じ毛利でも萩藩毛利家の下屋敷でした。その後は、明治時代に陸軍駐屯地となり、終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎として、平成12年まで使われていました。

 天皇家にゆかりの深い、赤坂迎賓館、明治神宮、新宿御苑にも触れてみます。赤坂迎賓館( 港区元赤坂)約130,000坪は紀伊和歌山藩紀伊徳川家の中屋敷、明治神宮(渋谷区代々木)182,000坪は近江彦根藩井伊家の下屋敷、新宿御苑(新宿区内藤)66,800坪は信濃高遠藩内藤家の下屋敷でした。

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